前職の同期が亡くなりました

感じたこと

同期とはいえ別の部署だったので、彼とはそれほど関わりが多いわけではなかった。グループのFASの会社に出向していた時に、よく喫煙室で出くわして、会うたび話をしていた。彼はとても優秀で出世が早かったので、僕より職階が高く、最初は敬語で話していたぐらいだ。ただそういうコミュニケーションを好まないようだったので、すぐにタメ口で話すようになった。僕はその後に監査法人に戻ったので、また接触は途絶えたが、2019年4月のセミナーに行ったときにたまたま彼と会った。彼は前以上に人懐っこいキャラになっていて、セミナー後に飲みに行くことになり、そこで再び意気投合した

彼は何年も前に会社をやめて独立しており、その会社の名前はどんどん有名になって色んなところで名前を聞くようになっていた。とはいえ、彼はとても出世が早く、パートナーになる事も十分に可能だったと思うので、帰りの電車でなぜやめてしまったのか聞いた。すると、彼は骨のガンになってしまい、今までのような働き方はできないこと、いつ死ぬかわからないからやりたいことをやろうと思ったと、何でもないことのように言った。しかも最近再発してしまったらしい。局所性なのか全身転移性の再発なのかは聞けなかったが、「もう駄目だと思ったけど、意外と死なないもんだよ」と笑顔で語る口ぶりから、言葉とは裏腹に彼が病気を全く甘く考えておらず、ある程度まで死を覚悟していることがうかがえた。

その後、異業種交流会などに誘われたが、ちょうど繁忙期で参加できず、その後コロナが拡大したこともあり、また交流は途絶えてしまった。2021年の9月になって自分が独立することになったので、彼にLINEをしてまた飲みにいこうと誘ったが、彼は他の話をして、それには特に返事がなかったので、病気もあるし、きっとコロナにナーバスになっているのだろうと軽く考えていた。その2か月後に彼が亡くなったと聞いた。きっともう飲みにいくことなんてできない状態だったのだろう。。

お通夜には伺うことにした。生前それほど深い付き合いがあったわけではないが、彼の優秀さや人懐っこさ、人望の高さは十分に感じ取ることができたので、最後のお別れをしたいと思ったし、何より残された彼の息子さんに、貴方のお父さんはすごい人で、とてつもない人望があるから、こんなに人が集まったんだと知ってほしくて、自分も押し寄せた人の何百分の一になりたいと思った。実際に通夜の会場には前職の偉い人から若い人までフル集合で、本当にたくさんの人が彼の死を悼んでいた。

お通夜の席では、自分の息子と同じぐらいの年であろう彼そっくりの息子さんが、困ったような顔をして座っていた。彼の奥様は気丈に弔問客に対応されていた。近年本当に涙もろくなっているので、きっと泣いてしまうと思ったが、泣けなかった。誰よりもつらい遺族の方々が踏ん張って対応しているのに、きっと何年も彼の病気と向き合って、この日を迎えたはずなのに、部外者の自分がボロボロ泣いて場を乱すことはできないと思った。何の挨拶もできずに逃げるようにその場を後にした。

とはいえ、このまま家に帰ることもできない気分だったので、帰りにたまたま見かけた寿司屋に入って、お酒を飲みながら彼のことを思い出していた。会計が終わって店を出たら、返礼品の中に手紙が入っていることに気づいた。「これを見たらまずい」と直感が告げたが、急いで封をあけて読んでみた。

香典返しはうどんだった。彼は最後にカレーうどんが食べたいと言っていたが、それは叶わなかったらしい。皆様にこのうどんを食べてもらって、彼を偲んで歓談してもらいたいと書いてあった。彼がどんな状態だったのか知らなかったが、最後はうどんを食べることすらできなかったと知って、声を上げて泣いた。居ても立っても居られなくなり、通夜の会場に引き返したが、ドアはしっかりとしまっていて、弔問客は誰もいなくなっていた。それでよかったと思う。もしそうでないならきっと見苦しい姿をさらしてしまっただろうから。

なぜ彼がこんなに早く亡くならないといけなかったのか自分にはわからない。いつもと変わらない日常を暮らしている自分に対して罪悪感すら感じることもある。お通夜の席に彼のメッセージボードが置かれており、いつもと同じ口調で、「香典は相場を気にせず多額でよろしくw」とかそんなことがユーモラスに書かれていたが、前半には「自分は人生を満喫したし、いい人生だったと思っている」、「人間はいつかは皆死ぬから、早い遅いの違いはあるけど、自分は先に逝って皆を待っている」というようなことが書かれていた。

彼の本当の内心はわからないが、僕の解釈では、「きっと人間には最初から与えられた寿命があって、与えられた条件の中では精一杯生きることはできた。だから自分は自分の人生に満足している」という結論にたどり着いたのだろうと思った。きっと彼は「確かに自分に与えられた時間は長くはなかったけど、それでも精一杯生きて満足しているから、変に同情したり、湿っぽく考えてくれるな」と言いたかったのだと思っている。

僕がするべきことは変な罪悪感を感じたり、メソメソすることではなく、彼のようにいつ突然に死が訪れたとしても、「自分は今までの人生を精一杯生きたから、それが人より短いのは少し残念だけど、ベストを尽くしたことには満足している」といつでも言えるように、残された時間を生きることなのだと思う。

明日はカレーうどんを食べようと思う。F君のご冥福と、遺族の方々の心に少しでも早く安寧が訪れることを心よりお祈り申し上げます。

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